1986年くらいから、GAFAM問題が発端になったのは、リンゴ社が消費者にUNIXの都合の悪いメンテナンスを教えずにSSDを大盛にしたり、メモリを大盛にすることです。そしてそれに沿ったメンテナンスソフトを作らない・売らない・ストアの候補に上げないことです。(あなたは/var以下の意味をご存じですか?)
また、ヨーロッパで集団訴訟になるように、自分の昔の機器をOSをアップデートすることで、陳腐化し格差を作って売るという、人間を消費の手段として使う姿勢にあります。
だからといって、正当なBSD系に対してアンチになる必要はありません。
しかし、Insanely MACを見てわかるように、日本語でしかない「もったいない」を彼らはしています。先進国で唯一GDPのマイナス修正をして、中間層賃金が比べても低いのに、<なんのためにか>iPhoneをありがたがる必要はありません。しかも、iPhoneを持っていないからいじめるような国に誰がしたんでしょう?それは我々大人が、知識をお金で買い続けることがセレビリティであると言っているからです。
EULAも守れないのに、Dev.がダウンロードしただけでついてくるだけです。
そして、最新を組み合わせて、ベンチ競争をしたから偉いんでしょうか?
中学生ですら、Apexをして死体がないことに気が付き、AMDとNvidia,Intelがなんで毎年チップをだすか気が付く世の中です。
これでは、すべての消費社会をいち早くディスポ―サブルにして、サステナブルにしないのが、OS資源の有効利用だと言っていることになるでしょう。
我々が、経験を正しく残すことは、間違えを繰り返さないことにつながります。
そして、気づきを投稿することは、デベロッパーのコーディングの問題を解決する助けになるのです。また、できれば自分で参加しデバッグソースをマージするくらい知識を持ちましょう。(買うことがセレビリティのすることだという<信用のおみこしに乗ってお金をばらまく>より、おみこしを背負う方になりましょう。人生は1度きりです!)
他人の七転八倒を見て見ぬふりをしたあとに、しれっとして、リリースバージョンを持っていって、最新機で素晴らしいベンチが出ましたというくらいなら、Ivy-bridgeでMontereyを動かしましょう。
本当の恥は、他と協力しないために、自分の間違ったことを隠す行為ですし、それをあくまで手段としてとらえる我々の心にあるとは言えないでしょうか?