鬼滅の刃と欲望の経済学

2021年1月11日

 鬼滅の刃(無限列車編)を息子が見たいので・・・ってトーチャンも見たいので、男同士、買い食いとかいっぱいしつつ、行ってきました。
 息子は初映画でしたので、パンフも買ってあげました。
 お話は、ジャンプ系のありがちなものでしたが、たてがカッコよいので人気出るなーと思いました。
 あまり、ネタバレなく言うと、有限の命対無限の命(人間対鬼)の構造ですね。
 でも、本来は、我々が有限だから、記号があって伝え合ってお話ができている。もっといえば、DNAが円環でなくなって、有限になり、その発言も有限になったから、我々が生まれた。
 だから、すべては有限で、無限なんて考えは実際は幻と言っていいとおもう。
 しかし、我々は、0(空)を生み出しそこから∞を見出してしまった。そこから微積分は急速に整えられ、数学的世界と物理的世界さらに産業界に花が咲き資本主義社会はいまでは、とめられない、やめられないものになっている。
 無限はDNAと0の間に無かったか?
 実はあったのだ!
 実に興味深いことに、「おカネには、人間のモノに対する欲望のような実体的な根拠は存在しない。 誰もが貨幣として受け取るから貨幣なのであり、『貨幣とは貨幣であるから貨幣である』という自己循環論法になっているのである。」
 人間が
信じさえすれば無限に価値があるということになる、そして我々はそれを期待して、貨幣を使うのだ。
 そしてお話は、鬼滅の刃に戻ってくる、「仲間を信じて任せる、信じあう。そして、<死んで生まれて捨てられて、鬼の魂を信じて受け入れて無限の命を得る(てしまい鬼が生まれた)>」
 信じることと有限と無限は、この貨幣というものに実は起源があるんじゃないかと思う。
 我々は、貨幣に無限に価値があると信じてそれを持っていることで投機する。実はこれは、鬼滅の刃の鬼の無限の命と同じなのではないか。
 しかし、資本主義では、(どうやら)投機はいずれバブルになってはじける。バブルがはじけるのは、その有限性になんの意味を与えない。有限性の意味を捨て無限に生きることを選んだもの=鬼である。貨幣の定義を信じるのは、<無限に人間がその価値で受け取ること>、そして鬼の命と同じように<無限に価値がなくなることを考えないから>我々はそれをつかっているのではないか。
 もっと言えば、貨幣という無限に価値があるとそれを信じるものは、鬼と同じ無限の命(無限の有価値性)を貨幣に対して信じていることになる。無限に価値があると信じるから、お金に価値がある。無限に命があると思うから鬼の魂を信じて鬼が生まれる。
 この無限性にかんする貨幣と鬼の符合は何だろうか・・・

 無限に値が上がると信じて投機する。終われば価値が無いのにいつまでも利ザヤを得れると信じてしまう。
 無限に命があると信じて鬼になる。死んでしまえば生きてきたことに価値が無い(無限ゆえ人生に意味を与えられない)のに、永遠に好きなこと(人を食うこと)を極められると信じてしまう。

 似ているではないか・・・そして、そうやって投機から不労所得を得るのをなぜか恥ずかしくも思う。

 貨幣はもっと純粋な投機だ。つまり、その永遠の価値(命)を信じるのは人間(鬼)だ、このあたりが面白いではないか!

 そして、純粋な投機である貨幣を<貸すこと、交換する>だけで、利ザヤを得る。永遠の価値があるから、永遠に利ザヤを生み出せると信じてしまう。デフォルトを起こしてしまえばダダの紙くずになって価値がなくなるのに、永遠に利ザヤを得られると信じてしまう。
 どうやら、われわれは、貨幣に関していえば、鬼のようだ。貨幣が永遠に価値が変わらないと信じてるから。そして、貯めて交換する・貸すだけで永遠に利ザヤを生み出すから。

 宗教が、利子を禁じていたことは、これに関してとても面白い解釈を与えるのではないか。
 鬼の利点である、永遠に好きなこと(人を食うこと)を極められる=貨幣の利点である永遠に利ザヤ(利子)を生み続ける。
 これを禁じたのはこういうことになる。
 永遠の価値を信じることを欲するのは、永遠に利ザヤを取れるからだ。
 永遠の命を信じることを欲するのは、永遠に好きなこと(人を食うこと)を極められるからなのだ。
 だから宗教は、これを禁ずる。
 利ザヤが取れると思うから、貯めて増やしてしまう強欲を禁じる。
 永遠に好きなこと(人を食うこと)を極められると思うから、多くの好きなこと(多くの人を食うこと)をしたり、していってしまう殺人を禁ずる。
 そうして、
 永遠に価値を信じるから持とうとする貨幣に関しては、強欲(高利を取ること)が悪だとされる。
 永遠の生命を信じるからなろうとする鬼に関しては、殺人(殺してまで食べてしまうこと)が悪だとされる。(だから、鬼でも殺さないで生きる道や、鬼で亡くなる道を探す設定になっている)

 岩井 克人 東大教授はいう「私は経済学者です。そして、経済学著とは現代において数少ない『悪魔』の一員です。」この話は、鬼滅の刃とは関係が無い。自己利益の追求こそが社会全体の利益を増進するのだというのが、倫理に反するということらしい。

 間違っているかもしれないが、貨幣を自由に使え、自分の利益の追求だけ考えればいい、神の見えざる手があるから調整される。だから、どんなに利益を取っていいんだという理論をまっとうに唱えているので悪魔だということだとおもう。

 おもしろく言い換えるとこうなる、鬼を自由に放て、好きなように鬼に人食いをさせるがいい、鬼殺隊があるから調整される。だから、どんなに人食いをさせてもいいんだとまっとうに唱えているので、悪魔だということになる。
 怖いことに、鬼滅の刃では、悪魔はいない、初めに鬼になった人間がいるその後の話だ・・・その鬼をまっとうに唱えるものが何なのか・・・
 人間は悪魔の鋳型・・・ふっと言葉が降ってくる

  面白おかしく言ってきたものの、あまり意味はないこじつけだ。
 やっぱり、そもそも、本当の「空」も「∞」もないのだろう、ただ利用すること、悟ることができるのみだろう。わかりえないものは語りえないと聞いたことがある。でも、音楽に歓喜し、芸術に見入る。とりあえず、自由らしいことにはホッとする。