ハードなユートピアなら、ソフトなデストピアを私は選びたい

やっぱり人類は滅亡することがNASA出資の調査で判明。資源浪費と貧富二極化で

SFは、人類の未来を描いてきた、はじめは、豊かなユートピアとして。
しかし、いずれサステナブルな社会の終焉がくる。そのとき、われわれは、「ブレードランナー」のような、ハードなユートピアを選ぶべきなのだろうか・・・

SF会においても変わりつつあるとおもう。
特に、

ケン・リュウ 「もののあはれ」が説いたヒロイズム  英雄なき世界の生き方。物語の原点は漫画『ヨコハマ買い出し紀行』だった

このことは、印象深い。
ヒロイズムを否定することは、我々の日常をつまりは意味しているのだと思う・・・だから考えてみよう。

 我々は、本当に、核燃料サイクルを利用して、エネルギーを得て発達していけるのだろうか?
 スタートレックのようなユートピアならできるだろう、あの世界では、エネルギーと物質の交換は反物質融合として成り立ち、さらに、原子ストリームという技術が、物質再構成をして、エントロピーをふきとっている。
 でも、それも無理だということは、最初のリンクのとおりだ・・・
 異星人がヒーローになって解決なんて期待できない。そもそも、ヒーローのない世界ではないか、ものの移り変わりは厳然としてあり、あわれなのである。
 そこで、私は、好きな漫画・アニメに人類の衰退ものがあり、
「ハードなユートピアなら、ソフトなデストピアを私は選びたい」のだ!。

 ヨコハマ買い出し紀行。実験的に始まったこの漫画は、素晴らしいジャンルをもたらした。ストーリーはソフトに人類が滅ぶディストピアだ、しかし、人類はもう抵抗せず、のんびりと実に人間らしく生きて滅んで行く。そして、なんの説明もない、ほとんどすべては、読者の理解に委ねられている。今考えると、恐ろしいほど、実験的な試みがなされていたのだ。だから、ケン・リュウがあとになって小説で話題になるそれがこの漫画のすごいポテンシャルなのだ。

「人類は衰退しました」・・・ソフトなディストピアがもう有名になってから、生まれた作品。やはり人間は物質文明の末路にあり、そこに新人類として未知の生き物「妖精」が現れ、人類が交代しつつ、「妖精」は人間のもたらす楽しいに憧れるという、こんどはファンタジーな世界である。(原作小説では、人間になりたかった妖精がほぼ全てで、人は最後のたった1人である。)

 そして、われわれは、そのMADとして、「〜は繁栄しました」を作り出す。ある意味皮肉としての表現であるが、そのクオリティの高さには、ディストピアでもいいから、人間味をなくさないで暮らしていこうとする、われわれのあがきがあるのかもしれない。

「インド人類は繁栄しました」

【第10回MMD杯本選】MMDは繁栄しました

ここまでのデータを使いこなすのは、有る意味感動モノだ!!