ファンダムから見たAIとその周辺。
α.使えるものを、自分好みに使いましょう。ファンダムとはそういうものです。
Moebuntuは20年前からあった、UBUNTU Linuxを萌え化するプロジェクトです。mifjpnさんは15年前から、テクニカルスタッフとして参加しています。チーフはToyさんですが15年1度もあったことがありません。でもプロジェクトはちゃんと進んでいます。
MoebuntuはUBUNTU Linuxの派生版のLinux(あるいみきちんとしたソースがないので海賊版)ではありません。また、何らかのキャラクターを組み込むこともしていません。それは、Moebuntuはかわいい装飾を9色用意するのであって、中身は「自分が使えるものを自分好みに使いたいというファンダムから来るものだからです。」
ToyさんとMifjpnさんは、その点について議論をしました。一応のところ「派生物としてのMoebuntu linux」もテストとしてMifjpnさんが作って評価しましたが、デフォルトのキャラクターを組み込むことによって、陳腐になり、有象無象の海賊版に埋もれてしまうばかりです。
そこで、Linuxディストリビューションとして進む方法はやめました。(実際には、この方法では元のバージョンがどうなるかによって、かなり偏りが出ることもあるのです。いわゆる自分が好きな私家ブランドを出しても、それは自分が好きななものであって、評価されないのです。)
今回は、スクリプトという小さなプログラムの寄せ集めのような、便利なツールを番号で選択することによって、元のUBUNTUを修飾する方法としました。この方法であれば、自分の好きなキャラクターの絵をそのスクリプトにドラックアンドドロップすればいいのです。
Moebuntu-SetupHelperScript2(世界向け)
β.19万人が視聴する結果へ・・・正しくあることが成功のカギだったのでは?
実はこれは去年22年終わりまでの結果だったのです。意外なことが起きました。面白いディストリビューションを追いかけているmjdさんの目に留まったのです。彼はディストリビューションを挙げるのであって、そもそもセットアップスクリプトは紹介しません。(彼にみんなが、紹介してくれと言ったのです)
Moebuntu Linux – The Weeb OS Saga Continues…
この動画を19万人が見て、バズったのです。ほかにも、ロシア語版、インドネシア語版のYOUTUBEが紹介しましたが、このそれぞれも、このスクリプトのある本当の理由が、あなたの好きなキャラクターで作ってほしいということをきちんと踏まえていました。
つまり、キャラクターの押し付けをしないこと。自分で使えるものに自分の好きなものをくっつけるための手助けをしているのであって、好きな部分は自分で選ぶのです。
じつはどうやらここに、ファンダム(ギーク)たちの本音があるのです。「私は好きだから作った。みんなも使いたいのであれば、公開する。作って世に出した以上、何とかしてみる。自分のためでもあり、みんなのために・・・」。自分が自分でどんなソフトを作ろうと、それ自体は勝手です。そして、みんなに見せるのも、インターネットの時代、勝手と言えるでしょう。(コピーライト等の問題がなければ)
でも、ここからが、ギークと呼ばれるかどうかの境目です。<自分のためでもあり、みんなのために・・・>
γ.自分のためがみんなのためになる、ファンダムの正しい発展のために
隠しておいて、売り物にして著作物として守るのか(コピーライト)?公開して誰でもが自由に学習し、改良を加えられるのか(コピーレフト)?
プログラムの世界は60年代から全くそのジレンマから始まりました。前者ではマイクロソフトやアップルが成功し、後者ではLinux(GNU)が成功したのです。いまでは、多くの先進的な技術がコピーレフトであることもあって、コピーライト部分以外を分けてGPL(General Public License)として、だれもが見られるように、git-hubなどに置いておくことは当たり前になりました。
実はマイクロソフトがアップルの様に信者を作らず、億万長者ビル・ゲイツが穏当に進んでいる理由は、思うにそこにあると思います。かれは国にOSが使われるように、ロビー活動はしたかもしれないが、最終的に個人の好みまで奪わなかった。使い勝手やデータやケーブルの仕様を囲い込んで(行き過ぎた自由の)利益を無理やり上げなかった。そして最後には、コピーレフトの効用を知ったので、Git-Hubを買い・・・だからと言ってマイクロソフト王国を作らなかった。(Jobsの取り巻きならやりかねないと思う)
δ.意味抽出(パラメータの最適化と)2次創作物の果てに・・・
文系界隈では全く意味の無いAI論争が叫ばれています。AIがシンギュラリティをおこすと。じゃあ、1個の細胞だったあなたがシンギュラリティを起こしたのはいつですかと、理系は言いたい。多くの知識絵画などが、教師となりAIを学ばせるという、実際にはそれはある再生成パラメーターの最適化を行うにあたって、最適解がどこへ向かうのかを一位に決めていないために理系が使う言葉であって、文系の言う学習というあいまいな意味でない。たんにランダムネスを使って最適化したり、最適化の方向へ向かうパターンが一択でないということだ。(簡単に言えば有界有限なのだ)
文章を形態素分析したうえで論理性を重んじるように重みをかければ、逆に生成系ではさもあり得そうな理由をもとに説得できる。コンピュータという有界有限系でだ。しかし、絶対にできないことがある、全く違うあるものを生み出すことはできない。
われわれは、再生産をしないと進まない資本主義で疲れ果てて、何か違うものがなければ新しいものを売れないし、会社は終わりだと思っている。だから、今を分析して次元を増やしつつ、次元圧縮をしながら、パラメータから生産できるものから、新機軸があるように見えれば会社が続くと思っている。ここで使った言葉が、理系的な論理的なものとは違うことに注目してほしい。何か違えばいい・・・何か違えばたとえばアップルなら囲い込んだ信者に売れるのだ。このごろのWWDCははっきり言ってくだらない。CO2にやさしいのか厳しいのか、アップルの製品はさっぱりわからない。
極端に考えれば、歴史的に残ったものが「エウレーカ!」なのだ。「目には目を、歯には歯を」と書いてあったから、ハンムラビ法典は今ですら喧嘩上等なのだ。何がどうやって残したか、本当のことはそんなに知らないだろうと思う。
AIはある意味2次創作だ、情報をパラメータに情報量をコンパクトにして、再生成する。そうすると、(はっきり言おう)その手の学んだことが好きな完璧主義のオタクなのだ!
世の中のデータをすべてためていけば、ないものがなくなる可能性が増す。そうやって、プロセスはどんどん複雑化しつつ、解析とAIを使って、お金になる意味(パラメーターや順序など)を解析する。行動心理学を使って人間を非検体として試せば、その行動によって効果が測定され、価格がつく。そうして、人は最終的に手段である部分では、購買にいたり散在する。あとはもう、手段ですらないのだ、データという原料を生む材料でしかない。
恐れるべきはAIではない、それを使う人間の、際限のない欲望の資本主義なのだと思う。
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