年末の言葉
今年もありがとうございました。
早くコロナが終わって、UBUNTUオフラインミーティングでもあればいいですねぇ。
長らく、Moebuntuの実質上のテクニカルスタッフですが^^;もう長いもので、結構なお付き合いですから。Toyさんとお会いしたいですね。
ま、来年の4月も大変でしょうけど(Suru、Yaruのフルスクラッチが終わってればいいんですが・・・)
ZD-NETはある意味残念な評価ですが、取り上げたことからの(グレー〜ホワイトハッカー)からの称賛はあります。
Hackintoshのほうは、いろいろと考えるきっかけになりましたねぇ。特に、設計思想やGAFAというものの現在あり方についです。
いかに日本が、文系と理系を分けてしまい、お互いの溝が大きいか・・・
私は、じっさいに就職氷河期で、量子化学計算での修士が終わったあと、ドカチンの手元のバイトから、国家一種(情報)に受かって〜それを蹴って、労働市場の適正化という現代資本主義の問題に、労働基準監督官として立ち向かって、完全に世の裏を背負いきったあとにさる事件でうつ病になり精神病者の世界へ(一応監督官は刑事職で送検のノルマがあるんですよ)いって更に人の裏側を見ました。
・・・本気で結構ダイナミックな人生でしたので、理系の方の、<興味ないから過去のハッカー文化や現代のハッキング思想とその意味や未来なんて考えない〜知らん>(といいつつ、gccコンパイラコレクションが元になった最適化手法から派生したコンパイラを使ったり、Linuxができるから俺たちは偉い=意識高い系)的な発想には、とても悲しいと思います。
いまは、もう科学主義と自由主義(とくにGAFAM)がもたらした、失敗が資産格差問題として顕在化されでいるのに・・・未だに文理別考えなのはあまりにも、経済大国として恥ずかしいです。
私は、いまは、オープンチャットで哲学科関係の方々と出会い、理系の考えと文系の思想哲学の間で、議論に花を咲かせています。
どのくらい確かかはわかりませんが、アウトブレイクも人間を科学的にきれい(何も侵されていない)という状態が<善>だといって過去には獲得すべき免疫力がないために、生んだものかもしれないのです。(ある、部族では、回虫症はありますが、O157では具合が悪くならない等、ということもあるようですから)
・・・いっけん非科学的で記述がきれいであるのが善だというのは実態をつかみ損ねる恐れがあるとも感じます。つまり、科学は彼らが結果的に兵器の革命を犯したように、善悪を決めるのは、科学ではないといったほうがいいのかもしれません。やはり、倫理・道徳・哲学は形而上を目指すための正しいツールです。
ごく簡単な例では、積分変換は積分変換で無限をつかって電子回路の特性を計算できるので、すべての人々に利便を与えてます。でも、その無限という考えは、意外と哲学的には怪しいのです。
3000年前くらいの旧約聖書にすら。「我々は無限を知っている。しかし、生きている以上<そのはじめから終わりまで>を見届けることはできない」といっているくらいですから。
いずれにしても、知の探求は面白いですねぇ。
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